ヒーラーERIKOのワンダフルライフ

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自分らしく生きる

「自分らしく生きる」って簡単なようで難しい。

そもそも「自分らしい」って何だろう?

親や愛する人や友人たちから「あなたらしいね」とか「あなたらしくないね」と言われる時、それは真実の自分を表しているのだろうか?

誰かを喜ばせるために、或いは周囲の人たちに受け入れられたい、愛されたいと思う一心で、真実の自分を忘れた振りをして、もうひとりの自分を演じ続けてはいないだろうか?

今の自分は等身大の自分らしい自分だろうか?

動物たちはとてもシンプルに自分らしく生きている。



キリンはキリンらしく、ウマはウマらしく、トラはトラらしく、トリはトリらしく、ウサギはウサギらしく、ライオンはライオンらしく、サルはサルらしく・・・生きている。

キリンはトラになりたいとは思っていないし、ライオンはトリになりたいとは思っていない。
それどころかウサギはウマになる必要もないし、サルがキリンになる必要もない。
それぞれにはそれぞれ生来備わっている特質があるからだ。

ウマはウマのよさを発揮して、ウマらしく命を輝かせ、トラはトラの特長を生かした生涯を送る。

そしてそれで自然界は成り立っている。

人間だけが他の何者かになりたがっている。
人間だけが「自分らしく」あることより、別の誰かになろうとしている。

”あの人みたいにならないと愛されない”
”あの人みたいにならないと幸せでない”
”あの人みたいにならないと成功できない”

そう信じ込んでいる。

本当にそうだろうか?

本当にあの人みたいにならないと愛されず、幸せでなく、成功とはいえないのか?

そもそも自分にとっての幸せって?
今のままの自分で愛されちゃいけないの?
ウサギはトリにならないと愛されないの?

ウサギがトリのように空を飛ぼうとすることは、想像しただけで愚かなことのように思えるけど。

それよりウサギはウサギの特質を生かして、精一杯命を輝かせたほうが機能するのでは?

もちろん人間には動物と違って他者から学ぶという特質があり、それが私たちを成長させ、豊かな人間性へと向かわせる力でもあるから、それは必要なことだと思う。
でもそれは決して自分自身の本来の姿を否定するということではない。
オリジナルの自分をなくしてまで、何者かになる必要なんてあるのだろうか?

数年前、私は私よりもかなり若い女性とちょっとした話をする機会があった。
その女性はいわゆるセレブとして人気になった叶姉妹のファンで、彼女の講演会に参加したらしく、その時の話を私にしてくれた。

「それでね、私、最後に質問したんです。どうしたらあなたのようになれますか?って。そしたら叶姉妹のお姉さんのほうがこう言ったんです。イカにはイカの人生がタコにはタコの人生がある・・・なんかそんなようなことを言われました。私には意味がよくわからなかったけど、でもきっとあなたはイカとかタコみたいなもんだから、私たちのようなヒラメやタイにはなれないのよ・・って言われたんだと思う。悲しい~。」

その女性はそう言って、ガッカリした様子で私に話してくれた。

でも私はその話を全く違う意味に捉えた。

きっと叶姉妹が言いたかったのは「私には私の人生が、あなたにはあなたの人生があるじゃない?どうして自分の人生に誇りを持たないの?!」という主旨のことだったのではないかと。

私から見て、その若い女性は十分魅力に見えた。
可愛らしくて、素直で、朗らかで・・・それは叶姉妹とはまた異なった魅力であり、どちらが勝れているとかそうでないとかの問題ではない。

人にはそれぞれ生来の異なった特質が備わっており、更には人生の目的、すなわち青写真も様々なのだ。
誰一人として同じ形のモノはない。
そしてどれが価値あるもので、どれが無価値であるかなんて、決まっていないのだ。
もし決めているとしたら、それは私たち自身であって他の誰jかではないと思う。

若い彼女の中にある「イカよりヒラメのほうが勝れている」という思い込みや独自の基準が、彼女を「私ってダメなんだぁ~」というネガティブな捉え方へと向かわせたのだろう。

でも世の中にはヒラメよりイカのほうが好きな人だって大勢いるんじゃないかな!!
いきのないヒラメよりいきのあるイカのほうが好きっていう人は結構多いと思うけど。
その逆もまた然り。
要は、今の等身大の自分を好きであるかどうかだけの違いというか、「今の自分が好きだ」と言言っているイカやヒラメが私なんかは断然好きだけどな・・・。
イカとして、或いはヒラメとして、等身大の健全な自信を持って生きられるとするならば、それだけで、すばらしい!!

でもそれが意外と難しかったりするのよね~。

彼女の話はほんの一例に過ぎない。
私たちの多くが、世間的な価値基準や自らの劣等意識に囚われ、それによって傷つき、自分は幸せでないと考え、そして本来の自分ならば価値を感じられないものを獲得しようと懸命になっていたりする。

私たち自身が、あの人に比べて自分はこれを持っていない、あの人にくらべて勝れていないと自らジャッジし、そして自らの自己評価を下げてしまっているのだ。

自分の人生に価値を与えるのは他の誰でもない「自分自身」である。
それを忘れてしまうと、私たちは常に誰かの承認を求めて、さまよい続けることになるのだ。
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by lagrace | 2008-03-03 00:42 | 2015年以前のブログ