ヒーラーERIKOのワンダフルライフ

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心の距離

妙に忙しくて、なかなかブログを更新する時間がありませんで・・・ついついご無沙汰してしまいました。

書くネタはいっぱいあるのですが、何しろ光陰矢のごとし~、気がついたら一日が終わってるという毎日。

ゴールデンウィークは29日~5月1日までお休みさせていただきましたが、今日からまた仕事再開でした。

お休みさせていただいていた3日間は用事があって実家へ帰っていました。
私の実家がある場所は中途半端な田舎なんですが、それでもこの季節は緑が豊かで、川の土手沿いには様々な花が咲いています。
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この木はすべて桜の木(ソメイヨシノ)です。
だからつい数週間前まではここは美しく桜が咲き誇っていました。
私はこの土手沿いを歩いて通学していました。
その当時はまだ桜の木は植えられていませんでしたけど。
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ソメイヨシノじゃない桜もあります。(山桜かな?)
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この道沿いにはタンポポやクローバー、そのほか色とりどりの花が咲きます。
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この土手に面して建っている家々はキレイに庭を手入れしていて、それぞれの家が植えている植物を見ながら歩くのが通学時の楽しみでした。
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ほら、紫や黄色、オレンジ・・・見ているだけで退屈しません。
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逆側を見れば、川と山が見えて、どっちを見ても緑、素晴らしいわよね~。
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今は都会のど真ん中に住んでいるので、この緑緑した感じにちょっと飢えています。

東京は都会ながらも意外と緑はありますが、それでも決定的に違うのは山がないということ。
私は山が大好き!!
山を見ると安心するのよね。
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うちの近所は三方を山で囲まれていて、小さい頃からその景色の中で育ったので、山が見えない都会の景色はちょっと淋しい。
だからたまに都内から割りと近い鎌倉とかに行くと妙に落ち着きます。
それは山があるからなのよね。

子供の頃、山の絵ばかり描いていました。
画用紙一面緑色一色で、「緑ばっかりじゃない!!」と母にあきれられたものでした。
その時「お母さんはちっともわかってないんだわ。緑にもいろんな緑があって、全部違う緑なのに・・・。」と思ったのを覚えています。

飽きもせず緑の絵の具ばかりで、ひたすら塗り重ねていました。
そういう時はだいたい山の向こうの景色を想像しながら・・・です。
「あの山の向こうにはどんな世界があるんだろう!!」
それを考えただけでワクワクしたものです。
実際はその山の向こうには行ったことがありましたが、その時私が想像していた「山の向こう」というのは、まだ見ぬ未来の自分、つまり大人になったら旅立つ未知の世界のことや可能性のことで、私は実に早いうちからいつか自立する日のことを夢見ていたのでした。

私はまた花が大好きで、車で田舎道を走っている時にレンゲ畑や菜の花畑を見つけた日には、必ず車を止めてもらって、しばらくそのお花畑で時間を過ごしたものでした。
だから父は「ERIKOは本当に花が好きやなぁ~」と言ったものでした。

父に連れられて川へ魚釣りへ出掛けたこともありました。
釣ったばかりの鮎をその場で焼いて食べるのは本当に美味でした。

川で泳いだことも、兄とザリガニをとったことも、毎日学校からの帰り道に河原で友達とお気に入りの石を見つけては、その石を川に投げて遊んだりもしたものでした。

今考えてみれば、私は多くの自然と遊んできたように思います。
かつてごく当たり前に眺めていた景色は、長く離れて見ると、とても豊かなものだったということがわかります。
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非常に便利で、かつ刺激的で、それなりに快適なので、私は都会の生活が結構好きですが、それでも「自然」に触れる時間がないと窒息しそうになります。
最近特に頻繁に緑の多い場所、山や海や高原などの場所に出掛けないと、エネルギーが消耗するのを感じます。

今は科学の発達、文明の発達のお陰で、あっという間に行きたい場所へ行ける時代になりました。
ほんの10年前は、私の実家がある市から東京までは新幹線で4時間ぐらいかかりました。
今は3時間程度です。
あっという間に着きます。
東京から京都や大阪までなら新幹線で2時間~2時間半です。
飛行機ならば1時間です。

海外へも普通に誰もが行ける時代です。
20~25年以上前は今みたいに直行便も多くはなく(アンカレッジ経由とかいうやつですね)、ヨーロッパなどはもっと時間がかかっていました。
しかも料金はとても高額でした。
私と同年代、もしくは私より年上の方はご存知だと思いますが、当時(私が子供の頃の)のテレビのクイズ番組の優勝賞金は「ハワイ旅行」だったりしたもので、しかも「夢のハワイ」といううたい文句でした。
そう、まさに「夢」だったんです!

それが今じゃ格安チケットで3~5万ぐらいで行けてしまいます。
時間にして7時間前後で。
うちの親でさえ行ったことがある・・・そんな時代なんですよね。

海外で日本の家族や友達と携帯メールや通話もできるし、本当に世界のどこにいても、つながれる時代。
距離が近くなりました。

だけど「心の距離」はどうなんでしょう?
通信は飛躍的に進歩しましたが、その分「心の距離」は遠くなったような気がしないでもありません。

メールでは頻繁に会話するけれど、フェースtoフェースの会話になると、一転して苦手感を抱く人は意外と多いものです。
私のところへやってくるクライアントの多くも、コミュニケーションの問題を抱えてやってきます。

多くの人のエネルギーを観察していてわかることは、あきらかにコミュニケーション不足が多いという現状です。
通信は便利になり、距離も近くなったけど、どうにも埋められない心の距離感を感じている人は意外にたくさんいるのです。

たくさんの無駄な話はしても本音は語らないとか、肝心なことは伝えないとか、あとちょっとの距離が縮まらない・・・そんな感じです。

その理由は色々ありますが、自分が感じていること、思っていることを、素直に語れる相手がいないとしたら、それは非常に悲しいことです。
ありのままの自分を素直に表現することに居心地の悪さを覚える世の中だとしたら、それは淋しいことです。
人はやっぱり本質的に「ありのままの自分」を生きたいという欲求を持っているから、その欲求が満たされないとしたら、どこかに必ずひずみが生じます。

距離と言えば、海外へ渡航する人数が増えて、多くの人が異文化を体験する機会に恵まれるようになった結果、人々は異質な価値観に対して寛容になったのかと思いきや、その一方で、一緒に暮らす身近な人との違いを受け入れることができなかったり、同じ職場で働く人が自分と異なる考えや価値観を持っているだけで許せなかったり。
おかしなものですよね。

私自身は心の距離というのは、自分自身がどれだけありのままの自分でいることを自分に許しているかということに比例していると感じています。

ありのままの自分でいる時、人は人に対して寛容になります。
自分と異なる考えを持つ人を排斥しません。
なぜならば自分も自分の価値観に沿ってありのままの自分を生きるという自由を享受しているから、他者の価値観や自由も尊重するのです。
ありのままの自分でいる時(それは鎧を脱いで嘘偽りのない自分を素直に語る時のことですが)、相手も鎧を脱いで素直な自分を語り始めます。



そうして私たちひとりひとりの「心の距離」は近くなっていきます。

それは見せかけの賑やかさやとは違って、一過性ではなく、不安定なものでもなく、心の芯がふわっと温かくなって、自分や他者という存在自体に喜びを感じられる心地よい距離なのです。
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by lagrace | 2007-05-02 21:50 | 魂の処方箋